●「世界の旅バーチャル・グランドツアー(86) 万里の長城

(連載) [対象: 校種:全般、学年:全学 年・生涯学習、教科:共通]


 今回は、中国の首都・北京市北西約65kmの所にある「万里の長城」

(ワンリーチャンチョン)見学の中心地「八達嶺」の第2回目の動画像です:

 万里の長城の歴史は、紀元前221年「秦」の始皇帝が、北方民族「匈奴」の侵入を防ぐため、

春秋・戦国時代の諸国が北に築いた城壁を繋げて大長城としたことに始まります。

当時の長城は低く土製で、現在の物よりかなり北に位置します。長城の東端は朝鮮半島に及びます。

 紀元前119年、「前漢」の武帝は衛青・霍去病(カクキョヘイ)の両将軍を登用して、匈奴の本拠地を

撃破し領土を拡張しました。結果、長城は西の玉門関まで拡張されました。4世紀、五胡十六国時代に

異民族の力が強くなり、386年に建国した北魏は、南よりの現在の線に新しく長城を築きました。

  しかし、北方民族・契丹の「遼」、女真の「金」、モンゴルの「元」は、難なく長城を超えて侵入し、

中国(華北)は約3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれました。1368年「明」が建国されると、

元の再来に備えるために長城を強化し、現在の形になりました。北方民族は明代に長城への侵入を

繰り返し、1636年満州(女真)族が遂に長城を超えて明は滅び、「清」が成立いたしました。

 万里の長城は、現在崩壊の危機にさらされています。原因は、天候とゴビ砂漠による浸食破壊並びに、

長城の近隣の住民による破壊だといいます。


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(財)学情研メールマガジン 第89号 (2005/1/21 発行)に掲載されました。