田中城

 田中城は、藤枝市西益津にある平城跡です。
 15世紀頃今川氏の家臣一色信茂によって築かれ、徳一色城と呼ばれていたのが田中城の始まりと云われています。今川氏が滅びると武田氏が改修し、田中城と呼び遠江侵攻の戦略的拠点としました。1582年(天正10年)徳川勢に攻められ開城しました。江戸時代になると駿府の西の守りとして譜代大名が次々と入り、城主は12氏21代を数えました。明治に至って廃城となりました。
 徳川家康は隠居して駿府城に入ると、鷹狩りのためによく田中城に立ち寄っていましたが、1616年(元和2年)この城で鯛のてんぷらを食した後に腹痛を起こし、3ヵ月後に駿府城で死亡しました。死因は胃ガンという説があります。
 本丸を中心に直径約600mの同心円状に4つの曲輪と4つの堀が配置されている珍しい縄張りです。
 現在、本丸、二の丸跡には小学校、三の丸跡には中学校が設けられていますが、一部の堀や土塁が残っています。円の中央の本丸にあった2層2階の物見櫓は明治に払い下げられ住居に使用されていましたが、現在は藩主の別荘庭園であった下屋敷跡に移築され、史跡田中城下屋敷として公開されています。

2016.5.25