東海道の宿場町 関


 三重県亀山市関町は鈴鹿山脈の東麓にあって、古代は鈴鹿の関が置かれており、町名もこの鈴鹿の関に由来しています。
 江戸時代に宿駅制度が整い、東海道には53の宿場が設けられ、現在の関町には品川から数えて47番目の関宿と、48番目の坂下宿の二つが整備されました。関宿は西の追分けで大和・伊賀街道、東の追分けで伊勢別街道に分岐していたため、参勤交代やお伊勢参りの交通の拠点として多いに繁栄していました。しかし、明治23年に関西鉄道(現JR関西本線)が開通し、また国道1号線が旧街道からはずれた所を通ったことで、静かな町として残ることになるのです。

 
旧東海道の他の宿場町のほとんどが当時の面影を失い開発されてしまっている中、唯一この関宿においては往事の町並みが残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。



関駅

町並み

関地蔵院

関地蔵院

町並み2

食堂

町並み3

郵便局

庵看板

中二階からの町並

中二階からの町並

中二階からの町並

町並み4

町並み5

資料館

町並み6

旅籠

菓子店

菓子店



       

       亀山城多門櫓

 亀山駅から北へ徒歩10分ほどの所に亀山城多聞櫓があります。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。
 亀山城は天正18年(1590)岡本宗憲によって築城され、別名を「粉蝶城」といい、当初は天守もありましたが、 堀尾忠晴が丹波亀山城の
天守と間違えて取り壊したと伝えられています。