多摩川の下流
 

0. 本シリーズについて
      取材者     都築貞俊
      登録者     都築貞俊
      登録年月日
      参考文献
 

1. 概要


    多摩川は、山梨県と埼玉県の県境にある笠取山(海抜
1860m)を源とし、東京都の奥多摩地区、青梅(おうめ)市、
調布(ちょうふ)市、等を経て、東京都世田谷(せたがや)区、
大田区、と神奈川県川崎市との境を流れ、東京湾にそそぐ、
全長138kmの1級河川です。途中、秋川や野川など30
有余の支流と合流して流れ下ります。
    本シリーズでは主に、その多摩川の下流域である小田急・
小田原線鉄橋から下流を、多摩川に関わるいろいろな側面か
ら概観的に調査し、まとめてみました。
地図1(羽田近辺)地図2(六郷橋上,下流)地図3
(丸子橋上、下流)地図4(溝口〜登戸)
 
 
 
 

2. 形態

   下流域では、川の水量は多く、流れはゆったりとしてい
ます。
   また、川の両岸近くまで家々や道路が近接し、都会の川
として人々の日常生活と深く関わっている、と言えましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 

   川の両岸には、広い河川敷がたくさんあり、野球(練習)
場やゴルフ(練習)場、サッカー(練習)所、公園、会社の運動
場などとして利用されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

多摩川に流れ込む支流の川には、そのまわりに多くの湧水地
を抱えるものもあります。
 武蔵野台地(多摩川から隅田川あたりまでの平野)の表面
を覆う関東ローム層(富士山や箱根、浅間山などの火山灰か
ら成る土壌。)は、帯水性が悪いので、その下層に水がたま
り、場所によって湧水地として湧き出てくるのです。
   これらの湧水地も、多摩川の水源の一つと言えなくもない
ですね。
 
 
 
 
 
 

3. 水の利用
 

   多くの人々が住む東京都や川崎市などでは、飲用水や工業
用水、農業用水等の確保が欠かせません。
   多摩川の水は、江戸時代から積極的に利用されてきました。
江戸時代に開削された玉川上水(主として江戸の人々の飲用水
や防火用水として利用。武蔵野の開拓にも利用。羽村(はむら。
現在の東京都羽村市)の多摩川から取水し、都心の四谷大野木
までの43kmの用水路が完成しました。1653年のことです。)や
二ケ領用水(にかりょうようすい。主に川崎の農業用水として。後
には、工業用水にも利用。)はその典型的な例でしょう。
    水だけでなく川の砂利も、江戸時代の家の屋敷や社寺の整地
等に、また明治時代からはビルの建築用にも使われてきました。
 
 

4. 防災と環境保護
“暴れ川”とも呼ばれた多摩川は、過去に何度も洪水を起こしま
した。昭和49年、台風16号で多摩川の堤防が決壊し、二ケ領
宿河原堰付近の左岸側にあった狛江(こまえ)市の民家19戸が
多摩川へ流失したのは記憶に新しいことです。 現在は堰の改修
も行なわれ、しっかりとした護岸、堤防も完成しました。
 
 
 
 
 
 
 
 

安全と利便性のため、 とかくコンクリートで固められた護岸や
堤防が増え、かってのよしはらの河原や岸辺が失われ、生息
する動植物にも少なからず影響をおよぼしています。
多摩川に関する自然環境の保護は、今後の重要な課題として、
行政だけでなく市民も交えた活動が進められています。
また、川は都会の人々にとって「いこいの場」でもあります。
人々がなごめる環境を用意することも大事な課題です。
 
 
 
 
 
 

5. 交通
  東京と横浜・湘南(しょうなん)地区や東海道方面をつむすぶ
交通の大動脈が、多摩川をまたいでいくつも走っています。
   道路では、東名高速道路、第一京浜国道、第二京浜国道(
国道1号線)、第三京浜国道、中原街道などです。
    河口の右岸(下流に向かって右側)側の川崎市からは、神奈川
県と千葉県を結ぶ東京湾横断道路が開通し、湾の途中の「海ほ
たる」は新しい観光名所として多くの人でにぎわっています。
 
 
 
 
 

   また鉄道では、東海道新幹線、東海道本線、横須賀線、東急
東横線などです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    河口の左岸(下流に向かって左側)側には、空の玄関口「羽田
空港」があります。
なお、河口の東京側が「空の玄関口」なら、川崎側(河口の
右手の海側)は「海の玄関口」です。 即ち、川崎港として、
海外との貿易港にもなっています。 貨物(例えば、原油や
輸送用機械)の取扱いを中心に、日本国内でも有数の貿易
港となっています。
 
 
 
 
 
 

今は無くなりましたが、多摩川には、かっては(舟による)「渡し場」が
たくさんありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

6. 産業と人々のくらし
 

   河口付近の、右岸(下流に向かって右側)の川崎市には、石油
化学コンビナートを始め、大きな工場が林立しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   左岸は東京都大田区で、中小規模の製造業の工場(いわ
ゆる町工場)が集まっていることで有名です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    河口付近から東京湾へ、かっては大変豊かな漁場でした。
「ノリ」の養殖や、「アサリやハマグリ」の貝類、「マハゼ、
カレイ、ヒラメ、アナゴ、シャコ」などの魚がたくさん獲れ
ました。しかし、人口増加や産業の発展に伴い、埋め立て地
の増大、生活排水や工場排水等による水質汚染が進み、漁獲
量がだんだん減ってきて多くの漁師さんが漁業を止めました。
 
 
 
 
 
 
 

川崎市の工業都市化と住宅地化が進むとともに、その地の農業
は衰退してきました。 特に、大消費地の江戸(後に東京)を控え、
江戸時代から明治中ばまで、川崎大師近辺で梨の栽培が盛ん
でした。また、桃の栽培も盛んにおこなわれていました。 しかし
現在では、川崎市での桃の栽培農家は殆ど見当たらず、高津区
や多摩区あたりで梨栽培畑が散見される程度になりました。
 
 
 
 
 
 
 
 

かっては、多摩川でもアユウナギなどが多く獲れ、これを  
食べさせる料理店がいくつもありました。  明治時代から大正時代
には、舟遊びを兼ねた屋形舟で川魚料理を食べさせる料亭もあり、
東京方面からの遊覧客が多く訪れたそうです。 しかし、砂利採掘
などの影響で漁獲高が減り、廃業する料亭が多くなっていったよう
です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

多摩川の下流域は、川崎や東京などの商工業
地帯に近く、通勤、通学する人々の住宅地
(ベッドタウン)にもなっています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

7. 歴史

   多摩川周辺には江戸時代より古い歴史の痕跡を見せ
ている場所があります。
   その一つが、東急東横線 多摩川園駅に近い多摩川
べりの丘の上にある亀甲山古墳(かめのこやまこふん。
後方のこんもりした山。手前は調布浄水場跡。)です。
6 世紀頃の豪族の墳墓で、前方後円墳です。
    この古墳のある丘一帯は東京都大田区立多摩川台
公園として人々のいこいや勉強の場になっています。
この公園の一角に古墳の一部を復元した古墳展示室が
あります。
関連歴史
 
 
 
 
 
 

   多摩川は、古くは、鎌倉・小田原と東国を隔つ天然
の要害として、しばしば合戦の舞台になりました。
    東急 田園都市線の二子玉川駅から近い多摩川の中州
が「兵庫島」と名づけられています。この名前が南北
朝時代の合戦のなごりということです。
関連歴史
 
 
 
 
 
 
 

8. 植物と動物

    “武蔵野”といえば木々の緑が想像されます。
都市化が進み、一面の緑というわけにはいかない
ですが、散在する「自然公園」などには、「ケヤ
キ」、「コナラ」、「クヌギ」、「サクラ」などの樹木の
林が見られます。
 
 
 
 
 
 
 
 

多摩川の土手にも季節の草花が咲きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

水辺はさまざまな鳥がいこい、生息する場所ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

多摩川にはおよそ30種類の魚が住んでいる、と言
われます。 下流域には、コイフナ、タモロコなどが
生息しているといわれます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

9. その他


多摩川の流域には、比較的有名な神社仏閣が
いくつかあります。例えば、下流の川崎市にある
「川崎大師」や上流部にある「御岳(みたけ)神社」、
(東京都の奥多摩にある古い神社。創建は紀元前
90年といわれます。関東の霊場として古くから賑
わってきました。)高尾山 の「薬王院」(今から1200
年前に創建された寺です。成田山新勝寺、川崎
大師と合せ、真言宗関東三山の一つです。東京都
の高尾山にあり、多くの人が観光や参詣に来ます。)
などです。 川崎大師は正月の初詣客の数が日本
全国の中でも有数に数えられます。