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| 備中松山城は高梁市山下にある国指定史跡の山城で、天守閣は現存天守12のうち最も標高の高い所にあります。 4つの峰からなる臥牛山の小松山(標高430m)に本丸・二の丸・三の丸が階段状に築かれています。大手門跡からの高石垣は高さ10m以上の自然の岩を組み込んでおり、圧巻です。 1240年(仁治元年)に地頭の秋葉重信が砦を築いたのが始まりとされ、戦国時代には三村元親によって大規模な城塞となります。その後は毛利氏の所有となっていましたが、関ヶ原の戦い後は徳川幕府が城番を置き、この頃、山麓に御根小屋という御殿が築かれ、城主の館や政庁としました。 1642年(寛永19年)に5万石で入封した水谷氏の2代勝宗によって現在の城の姿ができ、その後は1744年(延享元年)に入封した板倉氏が8代続き明治を迎えました。戊辰戦争において城は無血開城され、御根小屋は解体されました。山上の建物は放置され荒廃しましたが、昭和初期に修復され、現在では天守、二重櫓、土塀の一部が国の重要文化財となっています。 |