野田城

 野田城は、新城市豊島にある城跡です。
 1508年(永正5年)三河守護代の菅沼定則によって築城され、定則の子・定村、孫・定盈の居城でした。1573年(元亀4年)三方原の戦いに勝利した武田信玄の軍3万は徳川方の野田城を攻めました。兵力500名ほどの野田城は1ヵ月持ちこたえますが、菅原定盈は捕虜となって降伏開城しました。
この後信玄の病状が悪化したため侵攻を止め、甲斐へと引き返す途中信玄は亡くなり、結果として野田城は信玄が最後に攻めた城となりました。野田城を包囲している時、信玄が美しい笛の音に誘われて本陣を出たとき、定盈の家臣・鳥居三左衛門に狙撃され、その傷が原因で亡くなったという伝説があります。1590年(天正18年)徳川家康が関東へ移封されると菅原定盈も付随し、その後野田城は廃城となりました。
 現在は曲輪跡、空堀、土塁、井戸などが残っています。


2014.3.25
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